第37章

                なかった。やはり、呆れているのかもしれないし――何も思っていないのかもしれなかった。その後、学習塾跡の一室で、みんなで夜を明かした。千石は親に、友達の家でお泊り会だと嘘をついていたので、彼女はどこかで夜を明かさねばならなかったのだ。他に適当な場所がなかったので、そのまま学習塾跡で眠ったというわけだ。最初は修学旅行の夜みたいなノリになったが、やはり全員疲れていたのだろう、すぐに、眠ってしまった。冬が来れば春が来て。夜が来れば朝が来る。神原と二人で千石を家まで送って、再会を約束し、別れた。しばらく、戦場ヶ原の誕生日パーティーの計画を練ってから、神原とも、交差点で別れる。そしてやっと家に帰り、ベッドでの二度寝を目論んだところを、妹達に叩き起こされたというわけだ。なんとなく、僕は月火に、「千石って、憶えてる?」と訊いた。憶えてるとの返事だった。せんちゃんのことでしょう。言われて、思い出した――そうだった、僕が千石に暦お兄ちゃんと呼ばれていたように、僕は千石のことを、せんちゃんと呼んでいたのだった。とはいえ、やはり――今更、そんな風には、呼べないけれど。制服に着替えながら、僕は考える。蛇切縄が二匹いた理由。二匹の蛇が――千石に巻き憑いていた理由。彼女のことを逆恨みしていたのは、友達だった女の子だ――意中の男の子が、千石に告白し、挙句に振られてしまったことを、恨みに思っていた。だから、学校で流行していたオカルトの、中でもとびっきりの呪いを行使した。腹いせみたいなもので、それが発動するとは、まさか思ってもいなかっただろうが――しかし、その事件だけを見ても、もう一人――千石のことを恨んでいるだろう人物は、想定できそうだった。そう、千石に袖にされたという、その男の子だ。友達だった女の子同様、僕にとっては名前も知らない人間だが――彼が千石を逆恨みしていたとしても、不思議ではあるまい。むしろ、心理的には、順当と言える。単純な――色恋沙汰。惚れた腫れたの話である。すじあげくそで125試用中試用中試用中試用中試用中試用中試用中試用中学校ではやっているお呪いが、何も女の子の専売特許とは限らない。馬鹿正直に、わざわざ対象の本人に、呪いを掛けたことを教えないことだって、あるだろう。あるいは、本気で呪いをかけることだって――ある。人を呪わば穴二つ。なんて、そんなの、全部、勝手な推測だ。確たる証拠は何もないし、たとえそうだったとしても、あの蛇切縄が、女の子と男の子、どちらに帰ったのか、返った呪いが一体どうなったのかまでは、どうしたって僕にはわからないことである。千石も知らなくていいことだ。それはどう考えても、蛇足だろう。かく126試用中試用中試用中試用中試用中試用中試用中試用中第五話 つばさキャット001羽川翼は、僕にとってとても大事な人間である。他の誰にもかえがたい、かけがえのない人間である。恩がある、いや、それどころか大恩ある相手だ。多分僕は彼女に対して何をしたところで、これで恩を返すことができたと、思うことはないだろう。春休み、僕がどん底のどん底のどん底を全身全霊で経験しているところに差し伸べられた彼女のその手は、僕にとっては大袈裟でも何でもなく、女神の救いの手に見えたものだった。今でも僕は、およそ二ヵ月前のあの経験を思い出すだけで、ぐっと、胸の奥に熱いものが込み上げてくる。人が人を救うだなんて言葉、考えてみればとても嘘くさいのだけれど、それでも僕はあの春休み、確かに、羽川翼に救われたのだと思っている。その想いだけは、何があっても揺らぐことはないだろう。だから――だから僕は、地獄のような春休みが終わり、三年生に進級し、クラス分けで彼女と同じ組になったとき、正直言って、にやけてしまうくらい、嬉しかったものだ。いつか戦場ヶ原に言われた台詞ではないが、片恋相手と同じクラスになった奴なんてのは、案外、こんな気持ちなのかもしれないと思った。ちょっとした誤解で、学級委員長になった彼女から副委員長の職を押し付けられるに至っても、そこまで抵抗なくそれを受け入れることができたのも、羽川が僕にとって大事な人間であったからに他ならない。羽川翼。異形の羽を、持つ少女。しかし勿論、羽川翼のその名前を、二年の春休みまで、僕が聞いたことがなかったかと言えば、そんなことはない――白状すれば、私立直江津高校始まって以来だというその才媛の姿を見たくて、一年生のとき、こっそり彼女の所属するクラスを覗きに行ったことがあるくらいだ。その当時から彼女は、きっちりとした三つ編みに前髪を揃えて、眼鏡をかけた、見るからに優等生というスタイルを貫いていた。一目で真面目な生徒だと判断できた。見るからに頭が良さそうな人間というのは決して少なくないが、そう確信することのできる人間というのを、僕はそのとき初めて見た。おいそれと声をかけるのもためらわれる、そんな荘厳な雰囲気を周さいえんつらぬ127試用中試用中試用中試用中試用中試用中試用中試用中囲に漂わせている、そんな高校一年生だった。近付きがたいというより、遠巻きに見ることすら許されないような、そんな隔絶を僕は確かに、実感した。相当無理をして直江津高校に入学した僕は、その頃にはもう、この学校における自分の立ち位置を認識し始めていたが、はっきりとそれを感じたのは、どうだろう、案外、羽川翼の姿を見た、そのときだったのかもしれない。学年トップの成績を誰にも譲ったことがない、どころか、小学生の頃から数えても、成績という点において人後に落ちたことが一度もないという羽川翼とこの自分が、同じ人間であるとは、少なくとも、思うことはできなかった。とはいえ、だからと言って、羽川翼がお高くとまった女生徒なのかと言えばそんなことは全くない。そこを誤解されては困る、むしろ僕は彼女以上に善良な人間というのに、生まれてこの方あったことがなかった。それこそ前の春休みまで、僕はずっと羽川翼のことをそういう風に誤解していたようなのだが、実際に間近で会話を交わしてみると、自分の所有している能力?才能についてもっと自覚するべきだと思うくらいに、彼女は誰に対しても、過剰なくらいに公平だった。私立直江津高校に通ういわゆる『優等生』達は、頭のよさは他人と較べるためのものと考えているタイプばかりだというのに、羽川翼はそうではなかった。僕(继续下一页)六六闪读 663d.com